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母ひとり子ひとり の二人三脚

ついこの間、「ママは大丈夫です」と書きましたが、その晩
「もいちゃんに会いたい病」と「もいちゃんを抱きしめたい病」と「もいちゃんお頭をナデナデして見つめ合ってチューしたい病」の突発的な重度発作に襲われ、深夜に『もいちゃーん!!!!!!』と大きな声で叫んでえーんと泣いてしまいました。
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やっぱり苦しいです。
モーレツに寂しいです。

「ママ大丈夫でちゅか? 
もいちゃんのママは強い子のハズでちゅよ。
もいちゃんは大丈夫なんでちゅから、ママもちっかりしてくだちゃいU^ェ^U」
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もいちゃんがいなくなって色を失ったようなたった一人の部屋で、自分の悲しい気持ちにフタをしてなるべく考えないようにして逃げても、何か見つけてはチョコチョコ用事をして気を紛らわせようとしても、もいちゃんが亡くなってしまったという現実はかわりません。


ママは自分の子(わんこ)を亡くすのは6ニン目。
この悲しみやモーレツな寂しさは、『時間お薬の力を借りて、自分で少しずつそれを受け入れる(消化する)』しか道がないのだと知っています。


あー、早く冬になればいいのに。
早く春になればいいのに。夏になればいいのに。
その頃にはきっと悲しい発作もなくなっているだろうから。
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ママは、わんこと一対一のフタリで暮らしたのはもいちゃんが初めてです。
今までは、だれかが亡くなっても他の子がいてくれたので、だれもわんこがいなくて一人ぼっちになってしまったのも初めてです。


べべちゃんが旅立ってしまってからの5年4ケ月。
もいちゃんとママはべべちゃんの旅立ちを乗り越え、
母一人子一人の二人三脚で寄り添って肩寄せ合って暮らしてきました。
本当に本当に幸せだった。。。
心穏やかで毎日が平和で、ママの人生で一番幸せでした。
スタッフに、「もいちゃんとフタリでとっても幸せ♡」とよく話していたものです。

仕事が終わって家に帰ると、ママに見せてくれるためにグローブタオルを持ってソファにのんのしたもいちゃんと、寝そべってお顔を向かい合わせ、「はー、おちごと頑張りまちたね。これからはフタリの時間でちゅよー。ママともいちゃんはラブラブ親娘ね〜。」とか話しながらギュッとかチュッとかして、『もいちゃんはいい子』のお歌を歌ってあげたり、おもちゃで遊んであげたり、ガムを持ってかじらせてあげるのが毎晩の日課でした。
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ママはもいちゃんを全身全霊で守ってあげているつもりでした。
でも守ってもらっていたのはママのほう。
いやー、自分がこんなにも子離れしたいない母だっとは(^m^)-☆

ママは通販でお買い物するのが大好きで楽しみのひとつでもありました。
洋服やバッグや靴やアクセサリーは100%通販です。(仕事もあるし、もいちゃんをおいていけないので買い物に出かけません)
ママはオバサンですが、ママなりにオシャレには気を使っていました。
幼稚園的に言うと、『もいちゃんのママ、キレイね』っと言ってもらえるもいちゃんのママでいたかったからです。
(実際はキレイではりませんが、気持ちとして(^_-)-☆)

でも、もいちゃんが亡くなってしまってから、気を紛らわそうといつもの通販サイトを見ても、お買い物をする気になれません。

欲しいものがないんです。
今までは
「もいちゃんとプールに行く時に着て行こう」
「もいちゃんとイズムさんに行く時のバッグにちょうどいいかも」
「もいちゃんのワンピースとオソロになるからこれ買おう」
近所のコンビニでは
「もいちゃんと半分こしよう」
「もいちゃんにこのお弁当の中の玉子とお豆はあげられるね」
「もいちゃんはこのヨーグトじゃないとお腹壊すからうちはずっとコレ」
....ママの考えること、行動(予定)には全てあたまに『もいちゃんと』がついていたんです。

まだあと数年は一緒にいられると思っていたけど.....
今にして思えば、もいちゃんは自分のキャパシティーを超えてママと一緒にいてくれたように思います。

ありがとう、もいちゃん。
だいちゅきでちゅよ。
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もいちゃんの犬生11年と5ケ月。
ママの子になって11年と3ケ月。
べべちゃんが旅立ってママと二人暮しになって5年と4ケ月。
ずっとずっと一緒で、楽しくて面白くて美味しいこともいっぱいで、とっても幸せでした。