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ムーちゃんの祥月命日-2

ここから先は長いしちょっと悲しいお話しだから、興味のある方だけ読んでね。

2006年2月13日に健康診断でCTを撮った(麻酔なし)。
14歳3ケ月とは思えないほど内臓さんとかはキレイと褒めてもらった。
これなら15歳はチョロイね!と大喜びしたものだ。
なのに.....その後音もたてずに病魔がムーちゃんに忍び寄り、あっという間にムーちゃんをむしばんだ。

2006年4月9日、前日の夜のごはんをあまり食べず、あんなに大好きなお散歩に誘っても気がすすまずトボトボ歩き。
おかしいと思ってすぐに病院に行った時にはすでに貧血症状がでていた。

あんなに大好きだったお散歩なのに、体が大儀でいけなくなってしまった。
近所の信用金庫まで行ったのが最後の“遠出”だったね。。
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すぐ近所のお散歩から帰ると疲れてしまって、お店でお休みしたっけ。。
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色々な病気を疑いさまざまな検査と治療をし頑張った。
血管肉腫とわかった。
ムーちゃんにとって最善の治療をしてあげるため、状況を正しく把握する為に5月3日に麻酔なしでCTを撮った時には、ガンは肝臓全体に腫瘍が広がり脾臓にも転移していて手も足もでない状態だった。
血管肉腫だった。
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ほんの2ケ月前にはキレイだった肝臓さんは、たった2ケ月の間のどこかでにっくきガンに冒されてしまい、わずか1ケ月くらいでガンは増殖し肝臓全体を冒していた。
ワンコの1ケ月は、人間の半年以上に匹敵するってホントなんだね。
ついこの間、15歳は軽いね!なんて言っていたのに....まるで天から空が降ってきたようだった。。。

ムーちゃんはベベやみんなの温かい血をもらって命をつないだ。
必死だった。
お薬やサプリで頑張った。免疫療法もしてあげたかったけど、当時の免疫療法は今と違って数週間の時間がかかったので間に合わなかった。

あっという間に起き上がるのも大変になったけど、たまに自力で起き上がってお水を飲んだり、室内トイレで一人でおしっこをしてパパとママをびっくりさせてくれたっけ。
ベベちゃんはいつもムーちゃんのそばにいてくれたね。
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吐き気を抑えてあげ、痛くないよう、苦しくないよう頑張った。
ママは先生に、「ガンの激痛と貧血の苦しさとどっちのほうがまだいくらかましですか?」と質問した。
先生は「ガンが肺や心臓にまで転移するととても苦しいから.....貧血のほうが頭がぼやけた状態で痛みは少ないかも」みたいな事をおっしゃった。
ムーちゃんを失いたくはないけれど、それがもう「決定」してしまっている今......とにかくなるべく痛くなく、苦しくなく、気持ち悪くないようにと願いそのために全力を尽くした。

ムーちゃんにママは「頑張りすぎなくていいよ」って言った。
今までべっちゃん、ブーちゃん、きゃっちゃんをお見送りし、ブーちゃんには“一歩も引かない治療”をし、とことん頑張ってもらったけど、それはブーちゃんが「おいらもっともっと頑張るよ。もっともっと生きてパパやママやみんなと一緒にいたいから!」って言って頑張ってくれたから。

ムーちゃんにはなんとなくそういうのは似合わないってママは思った。
ムーちゃんは冷静で飄々としていた。
きっと...ママは本当は『ママの可愛いへんくつ王子さま』がボロボロになって痛くて苦しむ姿を見たくなかったんだと思う。
ムーちゃんにはいつも『ママのピカピカのかっこいい子供王子さま』でいてほしかったんだよ。


夜は介護の為パパがムーちゃんに添い寝した。
自他共に認めるママっ子だったムーちゃんは、いつの間にか「隠れパパっ子」になった。

.....ママはムーちゃんの介護からちょっと逃げたんだよ。
ムーちゃんはいつも真っすぐママをみてくれていたのに、ママはほんのちょっと目をそらしたんだよ。ごめんね。

現実を頭ではわかっているのに、まだまだ死んじゃったりしないとも思っていたんだよ。
だって、ムーちゃんがいなくなっちゃうなんて、そんなことちょっとでも考えたら本当になっちゃいそうでイヤだったんだもの。

亡くなる数日前にはたぶんガンが肺にまで転移し、茶色いくちゃい鼻水が始終ポタポタとたれたので一日中拭いてあげた。
下に敷いたタオルやシーツを何度もかえてあげた。
泡のような白いネバネバを吐きたくてもなかなか吐けなくて、そんな時はティッシュをお口にいれてそれで白いネバネバをつかんで引っ張ってあげるとうまく出してあげられるようになった。
一旦お水を飲ませてあげるといっぺんにたくさん吐けて楽になるというのをパパがみつけだした。

最期の時、ムーちゃんが苦しくてでも吐けなくて、やっと吐けてそれをすっかり片づけたところでパパは自分のベッドで寝ていたママを起こした。
朝の4時半頃だった。

パパは「ムーちゃんを抱いてあげな」って言った。
ムーちゃんはうつろな瞳でママを見て、ママはムーちゃんを抱きしめた。
そのまま抱きしめていたらよかったのに....ママはムーちゃんが失禁している事に気付いてしまい、「ムーちゃんをキレイにしてあげなくちゃ、ムーちゃんをキレイにしてあげなくちゃ、おしっこで汚れていたら気持ち悪くて可哀相だから!!」と必死でお尻周りをキレイにした。
キレキレが終わって少ししてムーちゃんは亡くなった。
ママはムーちゃんとのお別れの時、○カみたいに必死になっておしっこの汚れをキレイにしていた。
なんでずっと抱いていてあげなかったんだろう!って今もたまに思う。。。。


ムーちゃんはママの願いどおり、(見かけは)そんなには苦しまず、お顔もやつれていなくカッコよく、体も美しいまま旅立った。
2頭のGRの子からあたたかい血をもらうはずだった日に、まさか今日とは思ってもみない日に旅立った。

旅立ちの1日くらい前。
そりゃ元気いっぱいの頃のようにはいかなないけれど、可愛いでしょう。。。。
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お葬式に向かう車の中、ママはフラットにした後部座席にムーちゃんといっしょにいた。
車がゆれると、カーブを曲がると、ムーちゃんのお鼻から茶色い液がでた。
それはたくさん出て、ティッシュ1箱を使い切るほどだった。

ママはそれで初めて知ったの。
「オレさまは大丈夫だゼ。苦しくなんてないさ。痛くなんてないさ。オレさまはカッコいいオトコなんだからな。ママを泣かせたりしないゼp(`ー´)q」って言ってふつうのお顔を装っていたムーちゃんは、本当はとことん頑張ってくれていたんだって!!

涙がとまらなかった。
ムーちゃんは苦しくて大変だったのに、最期まで『ママのピカピカのかっこいい子供王子さま』でいてくれようとものすごく頑張ってくれていたんだね。。。。きっと。。。。
なのにママはムーちゃんが大切すぎて、(ほんのちょっとだけだけど)ムーちゃんの“病気の現実”から逃避したんだよ。
だらしないね。
だめママだけど、そんなママってわかっていてムーちゃんはママの事をずっとずっと好きでいてくれたんだね。

だらしないママだったけど、不思議と“後悔”はないの。
ママはムーちゃんを言葉ではいえないくらい愛していたし、ムーちゃんもママの事を心から愛してくれていたってわかっているからかなぁ。。。。
しっかりと親子の絆で結ばれていたし、今だってこれからだって親子であることにかわりはないからかなぁ。。。。


ママはムーちゃんのママになれて良かったよ。
ムーちゃんママをママにしてくれて本当にありがとね(●^_^●)